国立研究開発法人 科学技術振興機構

科学への興味を貫き通す

寄稿:2023年1月

写真:原 雄大さん

原 雄大さん
情報系国内企業 システムエンジニア(開発職)
(第1回科学の甲子園全国大会 埼玉県代表)

 第1回科学の甲子園全国大会の埼玉県代表として、キャプテンを担っておりました、原 雄大です。
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。その後、早稲田大学大学院で修士課程を修了し、現在はシステムエンジニアとして働いております。今回は私の経歴について、お伝えいたします。

記念すべき第1回大会で総合優勝!!

 私は小学生の時から授業で学ぶことが好きで、当時最も好きな科目は算数でした。小学生の時の将来の夢は数学者だったことを覚えています。勉強好きはずっと変わらず、中学卒業後は埼玉県立浦和高等学校に入学し、理系の道に進みました。高校では化学部・生物部・地学部の3つを兼部して、いずれも部長を務めていました。

 そんな中、科学の甲子園という大会が初めて開催されるということで、理系の部活の人員を中心として先生方から声がかかり、チームが結成されました。全国大会ではある程度手ごたえはあったものの、まさか優勝できるとは思っておらず、表彰式で司会の方に「ドッキリじゃないですよね?」と思わず質問してしまったことは今でも記憶に残っています。当然、ドッキリじゃありませんでした(笑)。

協力して競技に臨む選手2人
第1回科学の甲子園全国大会で総合競技に取り組む原さん(左)
メダルや賞状を手にした埼玉県代表選手たちと引率教員
優勝記者会見での記念写真

中3で出会ったプログラミングからAIの可能性を探求

 大学での専攻は情報系を選択しました。理系科目に幅広く触れた結果、自分にとって最も向いていると感じたのが、情報系だったためです。
初めて私が情報系の技術、プログラミングに触れたのは、中学3年生の技術の授業でのことでした。当時から論理的に考えることが好きだったので、プログラミングに苦戦することはありませんでした。PCに命令を出して、自分の思い描いたとおりにPCが動くということは、当時の自分にとっては衝撃的で、とても楽しかったのを覚えています。
高校の情報の授業では、プログラミングを行うことはありませんでした。しかし、中学校のプログラミングの授業があまりに楽しかったため、家のPCに環境をインストールして、高校生でも趣味でプログラミングを続けていました。教材もなかったため、独学で少しずつ手探りで学びながら、簡単なゲームなどを作っていました。
そのような経緯があり、私にとって情報系に進むことは半ば当然のことでした。大学4年以降は、多くの時間を研究室で過ごし、研究に取り組みました。

 大学卒業後も研究を続けたいという思いから、私は大学院へ進むことを決めました。昨今はAIの台頭が凄まじいですが、当時はAIが徐々に広まり始めたころであり、大学院では機械学習、とりわけディープラーニングの研究が多く行われていました。ディープラーニングの仕組みについてこの時に知り、それは今でも役に立っています。

 就職も自分の専攻の強みを生かし、システムエンジニアとして一般企業に勤めています。社会インフラを担う立場として、システムの障害を起こさないよう、日々の業務に取り組んでいます。
私の業務ではAI・機械学習を利用することはないのですが、弊社でもAIを活用する機運が高まっています。そのため、AIについて詳しくなる必要があると考えた結果、私たちの代の新人で、勉強を行う会が立ち上がりました。その会は「AIコミュニティ」という名前で、私もメンバーとして参加しています。規模は小さなコミュニティですが、月2回の発表会を行い、互いに研鑽しあっています。このコミュニティは社内に認知されて、新人教育の一部として組み込まれるなど、活動が広まりつつあります。業務と直接関係はない活動でも、自分たちが始めた活動がきちんと認められ、徐々に広まっていることが、最近の喜びです。

 次回は、第1回科学の甲子園全国大会 宮崎県代表の宝蔵蓮也さんです。